きれいな顔したリビング・デッド

昨日、というか、今日の朝9時に眠りについたことにこの一日の質の悪さが起因してくるわけだが、起きたのはその8時間後の17時になる。ぐっすり眠れた、というわけでもない。この部屋のベッドは窓に接していて、遮光カーテンは取りつけてあるものの、夏の強烈なまでの日光はその微かな隙間をぬって社会不適合者の哀れな睡眠に追い打ちをかけることを全く厭わない。そうして少し気分の悪い目覚めを経て、すこしばかりの逡巡の後、顔を洗いに洗面台へと向かった。俺は問題意識を持っている。毎度このような「完全なる休日」という日に限って、満足に生きられたことなど一度もない。今日こそは充足感をもって眠りにつこう、と、それだけを夢見て休日を始めることにしている。洗顔をしてコンタクトレンズをつけたら、次にご飯を食べる。エネルギーを蓄える。もうそれだけでなにか行動を起こすための準備というのは整ってしまうものだ。そのはずだった。ご飯を食べながら、またいつものようにYouTubeを見た。いつもはそのあとに家を出る用事だとか課題だとかが俺を待ち受けていて、否応なしに動画視聴という浅慮な行為をやめさせて“いただける”というわけだが、休日の怖いところはそこだ。そんな魔法の力なんてものは存在しない。「強制力」という類のものが、自由の支配するこの世界には存在してくれないのだ。自制などという概念は俺から相当な距離を離している。今日もいつも通りだったんだ。変わらない。次にデジタル時計に目をやった時には、まず「AM」というアルファベットが見えて、頭の数字には「2」と、そう表示されていたのを記憶している。諦めているよ。俺はもう、それからの時間に奮起するだけの活力は持ち合わせてはいなかった。ネットでエロい漫画を2,000円分購入した。訳も分からずクレジットカードの決済ボタンを押していた。ヌいても全く気持ちよくない。おもむろにコンビニに出かけた。お菓子とカップラーメンを買って1,000円の買い物。いつもスーパーでせっせと鶏むね肉を買っているのがバカみたいだ。家に帰った。それからも動画を見て、それで、それから、……。今ちょうど、朝の8時になった。書いておくべきことは、多分それぐらいだろう。

不思議だと思った。後悔っていうのは大体相当な“ディレイ”があるはずだ。その原因となった出来事はきっとある程度の期間を持っていて、行動を起こすための意思が出来上がった瞬間から悔やまれるような結果が生まれるまでのその間には、相応の時間が流れていなくてはならないはずなんだ。俺の生み出す後悔はどうやら違うらしい。例えるなら、それは点だ。思い立って、行動に移した時には、その次の瞬間には、惨憺たる結果と後悔とが、まさにインスタントに生み出されてこの脳の中枢を刺激している。それはつまり、後悔することが分かっていながらその行為を止められていないってことだ。支配されている。道具に支配されている。使うはずのものに使われている感覚。彼らの目的を問いただせれば、あるいは対話が成立するのか?どうして俺をこんなひどい目にあわせるの?ひどい。つらい。くるしい。もういやだ。もういやだ。もういやだ!!……とか、たまの妄言くらい許してくれよ。こんな生活、正気でいられる方が狂ってんだろうが。

生きた心地がするはずもねえ。目が覚めるような衝撃を、それこそ、頭にヘッドショットでも食らいたい気分だ。

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