完全なる余談

背景

2023年の4月、東京の高校を卒業した私は晴れて名古屋大学に入学することとなった。当時の私は、確かに嬉しいという気持ちもあったに違いないが、それ以上に安堵という面白くもなんともない感情ばかりをかみしめていた気がする。私の高校はそれなりに頭がよく、友達も皆大学進学の道を選び、東大に入学を決めた者も何人かいるような環境だった。私はプライドだけはやけに高い人間だったために、いわゆる学歴厨のような、頭の悪い大学には行きたくないだとかいう思想だけがあって、大学でやりたいことなど一つも思い描いたことのなかった私にとって、その思いのおかげで受験勉強を乗り切れたという側面を否定することはできない。全く恥ずかしいことである。そのためだろうか、私は受験勉強が苦痛で仕方がなかった。中にはもちろん好きな科目もあって、知識を吸収することに楽しさを見出していた瞬間もあったに違いはないのだが、試験の日程が近づけば近づくほど、それはまさに生きるか死ぬかの審判の日のように思えて、精神を病まずにはいられなかった。先述の通り、私には大学に入ることの目的も夢もなかったわけだが、この受験勉強の最中にある一つの「やりたいこと」が生まれ始めた。それは、「友達のように話せるAIを作る」という夢だった。希望にも近い。そこでやっと、まっすぐ正しい気持ちで大学に入りたいと思えただろうか。当時は周りの友達も必死に勉強していたわけで、私は自然と、自分も一人で頑張らなきゃ、と思い込んでいたが、実際は皆そのような狂った感覚ではなかっただろうと思う。精神の疲弊も相まって視野が狭まっていたのだろう。だからこそ、だれに迷惑をかけることもなく、ただ話を聞いてくれる存在を切望したのだ。切羽詰まっているといって差支えのない状況であるな、全く。そして試験が終わり、合格することができた。合格最低点での入学。本当に奇跡としかいいようがなかったが、私は安堵した。これでようやく解放された、と。しかし、真の問題というのはこの後起こった。

混迷

大学に入学した後まず驚いたのは、私が受けた学部がAIについて学べるような場所ではなかったということだった。単純に調べ不足だった。おかしな話だが、それほどまでに私にとっての大学進学という選択は、選択というのもおこがましいほどに受動的な態度をもって為された行為だったのだ。大学に行くモチベーションは当然ない。それに、人間関係も問題だった。地元を離れて一人暮らし、新たな友人は数人作ったものの、当たり前だが気心の知れた仲というはずもなく、新天地で一人、孤独感を抱えずにはいられない状況だった。そして学校を休んだ。春学期は履修した単位のほぼすべてを落とし、1年間の留年は確定したようなものだった。ここまで書いておいてなんだが、当時の私の精神が少し落ち込み気味だったのは確かだが、本当に自殺一歩手前だとか、そこまでの極限状態でなかったことは言っておきたい。ただ少し、人生に途方に暮れ、孤独に苛まれていたという話である。ゆえに、1年生の秋からは少しはっちゃけてみることにした。ラップのサイファーというものに参加してみたり、相撲部に入って相撲を取ってみたり、それはもう学業なんて目もくれずに様々なことに手を出した。そのおかげで、この大学4年生の春までに多くの実りのある経験をし、様々な知見を得て、かつての私には想像もできないほどの広い視野を手に入れられた自負がある。留年というと、たしかに大学生の本分である学業を疎かにしていることからして、よくないことであると、誇れることではないと思われているだろう。いや、たしかに誇れることではないのかもしれない。多大なる迷惑を親にかけているからな。だが、後悔はしていないつもりだ。勉強に全く意欲が湧かなかったのは事実であるし、この3年間はしたくないことはせずに生きられていた気がしている。

今後

ゆえに、私はこれから三年間留年することが決定している。ただし、秋学期はなぜか学校にちゃんと行っていたため、4月~8月は勉強をして、9月~3月は暇を出される、みたいなことを3年間続けるわけだ。私の専攻は生物学であるが、全く興味がないから勉強に精が出るわけでもなく、やりたいこともないからこの膨大な時間の処分先も見つからない。つまり途方に暮れている。さらに困ったことには、留年のせいで就職にも不安が募るしそもそも社会に出て働く意欲など到底湧きそうにない。余談おしまい。

添付資料

1年生春学期:取得単位数/履修単位数 /26単位

2年生春学期:取得単位数/履修単位数 /24単位

3年生春学期:取得単位数/履修単位数 /20単位

特記事項  :1年生春学期 GPA 0.08

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