なんで最近こうも悩むことが多いのか、やっとわかった。悩みと言えばそれはそれは多岐にわたるし、この両手では抱えきれないほどあふれてきていたものなのだが、それらがすべてただ一つの源流から枝分かれしたものだったことにようやく気づいた。ずばり、将来への不安である。漠然とした将来への不安。俺はこのままでいいのか。何も生産性のない日々を送ってもよいのか。何か始めるべきか。Web制作の学習を再開すべきか。副業をはじめるべきか。金を稼がないと彼女にも見放される。なにかしないと。なにかしなければ、きっと俺は死んだままだ……ってね。ついこの間までは考えもしなかった問題が急に空から降ってきて、しかもそいつはこの先何十年という人生の進み方を決めてしまうものだというのだから、悩んでしまってふさぎこんでしまうなぞ仕方のないことに決まっている。俺の今までの生き方というのもその悩みを加速させていたに違いない。俺はその場その場の刹那の面白さを求めて生きてきた節があり、それは安定とはほど遠く、爆発的な何かを得られればそれが最上であると考えているような青年だった。それが今、一瞬の選択が今後数十年を規格してしまうような状況に置かれ、非常に戸惑ってしまっている、そんなところだ。つまり何が言いたいかというと、もうあれこれ急ごしらえの打開策を打ち出そうとするのはやめようという話だ。結局、この大元の「将来への不安」というものを払拭できなければ、俺が何をどうしようともここにまた帰って来ざるを得ないだろう。たった今、手は打った。急いで大学の学科の事務の人にメールを送った。「将来が不安すぎて相談に乗ってくれませんか」と。情けない。でも怖いのはほんと。もう一人で暴れ散らかすのもしまいだ。観念して現実をちびちび変えるような施策を、これまた面白くないほどにちまちま行い続けるしかないのだ。それが唯一の特効薬であることに違いはないだろうから。
ということで、ここからは日記っぽく今日の行動を羅列していきます。9時間睡眠の18時起床。顔も洗わずにお茶漬けを食べる。急に食べたい欲が出てきて昨日コンビニで衝動のままにお茶漬けの素を買ったわけだが、実際はそこまでおいしくなかった。その後ベッドで二度寝。23時くらいまで二度寝していた。3種類くらい夢を見ていた気がする。初めて彼女が夢に出てきて、なんだか不思議な気分だった。やはりようやく整理がついたんだなって思えて少し嬉しいようなさみしいような気がする。特別な立ち位置にそのまま鎮座させておくのも面白かったのかなって。そんなこんなでついに起きて、シャワーを浴びてチャーハンを食べた。YouTubeはもう見なかった。またなんとなくで一日が終わるのが嫌だったからだ。少し考えたことには、俺は昨日寝る直前にYouTubeの代わりとして本を読もうとしたわけだが、実際本質的な部分でそこに違いはなくないかと思った。誰かの作品を労力をかけずに摂取しているという点に全く変わりはないじゃないかと。映像ではなくて文字でそれを体験するということが重要なのだと言われたら、まあ確かにそれはあるかもしれない。とはいえ、読書もつまらなかったので結局10ページほど読んで閉じてしまった。それからずっと将来のこととか何をすべきかとか考え散らかして現在時刻AM3時。とりあえずもうどうにもならないということがこの日記の前半部分を書いていてまとまったので、大学の事務の人と進路相談をするまではいっそのこと開き直ろうと思う。究極にだらだらしてやろうという気だ。生産性?将来性?そんなものは知らん。コーラとポテチを両手に抱えてNetflixを見る。夜から朝まで見漁る。もう一日の満足感がどうだとか知らない。なにも知らなくていい。脳のキャパをすべて娯楽につぎ込んでやろうって気分なんだ。それでいうと、最後に一つ言いたいことを思い出した。だらだらするなら、“究極的に”だらだらしないとだめだ。コンビニで飯を買うならやっすいカップラーメンなんか買うな。FANZAでおかず買うならセールで300円とかのチープなエロ漫画を買うな。守りに入っちゃダメなんだ。全力を注ぎこんで時間を使わないとだめだ。きっと俺がYouTubeを見るのに忌避感を感じていたのも、おもしろくなかったから駄目だったんだ。全力の娯楽を体験した後に、「やっぱやらなきゃよかったな」なんて溜息がでるはずもないんだから。だらけるのなら、自分に後悔させないほどの突き詰めた堕落を謳歌しろ。
